津軽一代様

あなたの守り本尊、津軽地方一代様の一覧です
お正月及び旧正には、是非お参りしてはいかがでしょうか。


干支 守本尊 津軽の一代様 場所・連絡先
千手観音菩薩 目屋の清水観音 〒036-1441
弘前市桜庭清水流104(社務所)
「多賀神社」
TEL 0172-86-2952
丑寅 虚空蔵菩薩 百沢の虚空蔵様 〒036-1343
弘前市百沢字寺沢29
「求聞寺(ぐもんじ)」
TEL 0172-83-2373
文珠菩薩 最勝院の文殊様 〒036-8196
弘前市銅屋町63
「金剛山最勝院」
TEL 0172-34-1123
FAX 0172-34-1124
茂森(兼平)の天満宮 〒036-8273
弘前市西茂森1-1-25(社務所)
「天満宮」
TEL 0172-32-5796
辰巳 普賢菩薩 愛宕様(勝軍地蔵) 〒036-1302
弘前市大字愛宕字山下63
「橋雲寺(きょううんじ)」
TEL 0172-82-3429
勢至菩薩 袋の観音堂 〒036-0412
黒石市袋字富岡112
「白山姫(しらやまひめ)神社」
TEL 0172-52-5516
未申 大日如来 大鰐の大日様 〒038-0212
大鰐町蔵館村岡12
「大円寺」
TEL 0172-48-2017
不動明王 古懸の御不動様 〒038-0102
平川市碇ヶ関古懸門前1-1
「国上寺」
TEL 0172-45-2446
戌亥 八幡大菩薩 弘前の八幡様 〒036-8057
弘前市八幡町1-1-1
「弘前八幡宮」
TEL 0172-32-8719

津軽一代様の詳しい説明

目屋の清水観音(千手観音菩薩)
弘前市桜庭「多賀神社」

弘前市から約12km。弘南バス桜庭停留所から徒歩で約5分。
石段を登った山の中腹にやぐらを組み、その上に本殿がある。
坂上田村麻呂の創建と行基上人開基の二説がある。
天平3年(731年)聖武天皇の命で仏教の普及の為、やってきた行基上人は千手観音像を彫り、西目屋の大高森山にある岩屋に安置した。
すると、後ろにあった老松が牡丹のような白い花を咲かせた。
それを見て人々は驚き、霊験にうたれて信仰の道に入るようになった。
この為、同観音は「花咲き松の観音様」また岩屋に安置されていたので「岩屋観音」「清水観音」とも呼ばれていた。
万治3年(1660年)四代藩主信政は千手観音を高森山から桜庭に遷座した。
明治3年、神仏分離によって多賀神社となった。


丑・寅

百沢の虚空蔵様(虚空蔵菩薩)
岩木町百沢「求聞寺(ぐもんじ)」

弘南バス百沢行きの岩木山神社前停留所で下車、寺沢川沿いに遊歩道を上がると求聞寺に通ずる橋がある。
石段を登った森の上に真言宗、岩木山求聞寺がある。
寛永6年(1629年)二代藩主信枚が求聞持堂を建立したのが、同寺の草創である。
為信の死後、三男信枚が藩主になったが、為信の長男信建の遺児大熊(熊千代)と跡目を争い、家中が対立した。
また、この頃、大地震や飢饉が続いたので信枚がお家と領民の安泰を祈願し、
百沢寺のそばの森の中に穴を掘り、求聞寺法という荒行を行った。
祈願が終わってから、その場所に求聞持堂を建立し、女人禁制の霊地とした。
明治9年に焼失したが、同26年斎藤方善住職が再建した。
虚空蔵菩薩は、福・徳・知恵を授け、開運・縁結びのご利益があるという。


最勝院の文殊様
弘前市銅屋町63「金剛山最勝院」

最勝院は国指定重要文化財の美しい姿の五重塔が有ることで有名な真言宗智山派のお寺である。
最勝院の文殊菩薩は慶長年間、藩祖為信にこわれて同寺中興の祖、四代住職宥観が高野山無量院から下向の際、遷座されたもので、津軽の殿様が、代々智恵の守護尊として信仰した。
最勝院は百沢寺(岩木山神社の前身)、国上寺(古懸の御不動様)、橋雲寺(岩木の愛宕様)、久渡寺(旧小沢村)の津軽真言五山の本家寺であった。
また総録所として郡内諸宗をも統轄した明治五年田町から大円寺跡の現在地に移転した。
同寺文殊菩薩は古くから卯年の一代守本尊として信仰を集めている。
茂森の天満宮(文珠菩薩)
弘前市西茂森1丁目「天満宮」

西茂森の常源寺坂の上にあり、岩木山の眺望がすばらしいところである。
もとは大行院という寺で、新寺町の弘前高校のところにあった。
開祖は大行院永尊和尚で、菅原道真公の末裔。
慶長17年(1612年)に越後(新潟県)から来たといわれ、津軽の山伏を支配する修験の司頭だった。
亨保10年(1725年)慈雲院造営のため長勝寺構えの現在地に移転させられた。
明治4年修験道の廃止により天満宮となった祭神の天神様(菅原道真朝臣命)と本尊の文珠菩薩を祀っている。
祭神、本尊ともに知恵の神、仏様で、受験生たちの祈願所として知られている。


辰・巳

愛宕様(普賢菩薩)
岩木町植田「橋雲寺」

植田地区の西側にある高い森が愛宕山である。
この山頂にあるのが愛宕山大権現で、その別当が愛宕山橋雲寺である。
同寺由来によると、藩祖為信が津軽平定の後、最勝院(賀田)五世、眼尊上人に相談し、慶長7年(1602年)に浅瀬石の高賀野山に愛宕大権現を勧請し、祈願所としたのが始まりとされる。
為信は慶長5年、関ヶ原の合戦に出陣、大垣城を攻めた際、向こうにあった愛宕様に戦勝祈願をかけたところ、小軍勢でありながら勝利をおさめたので、寺僧に乞うて、もらいうけてきたのが、愛宕山大権現の勝軍地蔵(大仏師大弐法眼作)であった。
この勝軍地蔵は最初、高賀野山に安置されたが、慶長14年に二代藩主信枚が愛宕山山頂に移した。
愛宕権現・勝軍地蔵は普賢菩薩の生まれ変わりで、徳と火難除けにご利益がある。


袋の観音様(勢至菩薩)
黒石市袋字富岡「白山姫(しらやまひめ)神社」

袋の観音は、延暦年間(728年~806年)、坂上田村麻呂が「勢至菩薩」の御影を袋に入れて大木の枝にかけ武運長久を祈願した。
のちに御堂を建立して観音菩薩を祀ったので袋の観音と呼ばれるようになったという。
文明年間(1469年~1478年)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、その後、元亀2年(1571年)9月、千徳政氏浅瀬石城主が領内の大社として社殿を改築したが、浅瀬石城の落城で一時すたれた。
しかし、寛永4年(1627年)4月、袋村住民が産土神として再興し、明治4年の神仏分離令により白山姫神社となった。
御本尊「勢至菩薩」は、弘法大師の作と伝えられる。
※連絡所は黒石市浅瀬石の羽黒神社(TEL0172-52-5516)


未・申

大鰐の大日様(大日如来)
大鰐町蔵館「大円寺」

大円寺は文亀年間(1501年~1503年)、種里村(鰺ヶ沢町)に創建。
慶長19年(1614年)二代藩主信枚が弘前城の外郭防衛の為、南溜池をつくり、この南の台地に移転させた。
明治4年の神仏分離のとき、八幡宮別当の最勝院が同所に移転、大円寺は末寺の高伯寺(蔵館)に移った。
聖武天皇(724年~729年)の代、国分寺として神岡山(大鰐町)に大安国寺が建立され、大日様は同寺の本尊だった。
また阿闍羅山に建立された大日坊の本尊という説もある。
慶安3年(1650年)三代藩主信義が大日堂を建立し神岡山から移して安置した。
この大日様は藤原時代の名工貞朝作の阿弥陀如来で、大正9年に国の重要文化財に指定されている。
昔から大日如来として信じられ、未申年生まれの一代様になっている。
大日如来は強力な知恵、阿弥陀如来は慈悲の仏である。


古懸の御不動様(不動明王)
平川市碇ヶ関古懸「国上寺」

古懸山不動院国上寺は真言宗智山派で、推古天皇の代の推古13年(605年)円智上人が開基となり、同18年に聖徳太子の命令で、泰河勝が阿闍羅山に創建したが、のちに衰微したのを北条時頼が古懸に移転し、再建したといわれる。
その後、藩主為信が祈願所とし、寺領二百石を寄進した。
同寺の不動明王は津軽三不動の一つで、特に霊験あらたかな御不動様として知られ、御不動様に出汗(仏像が外気の変化で湿気を帯びる現象)があれば、藩から護摩(ごま)をたいて祈とうするよう命じられたという。
津軽三不動とは古懸の国上寺、六郷長谷沢(黒石市)、中野神社(黒石市)の三不動で、三体とも一本の木から作られたという言い伝えがある。
不動明王は強烈な慈悲の仏様である。
4年に一度火柱三昧(かしょうざんまい)が行われる。


戌・亥

弘前の八幡様(八幡大菩薩)
弘前市八幡町「弘前八幡宮」

大浦城の鎮守として同城下の八幡(岩木町)に鎮座してあったのを、弘前城築城にともない、慶長17年(1612年)に、二代藩主信枚が、弘前市の現在地に遷座させ、弘前総鎮守の社とした。
社殿の造営は、慶長13年から五カ年を費やしたもので、桃山時代の様式を伝える代表的な神社建築で、昭和11年に本殿、唐門が国宝に指定されている。
祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)八幡大神、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)。
八幡大神は応神天皇で、応神天皇は12月(戌の月)14日(亥の日)に生まれ、百歳を越える長寿だったといわれ、戌・亥年生まれの一代様になったとされる。
しかし、八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来で、戌亥の守り本尊になっている。
また息長足姫命は安産、育児の神様である。

文字の大きさを変更する 縮小 標準 拡大