秋田雨雀記念館

所在地 〒036-0377
青森県黒石市中町5
(津軽こみせ駅2階)
TEL 0172-59-2080
営業時間 8:30~17:15
休館日 毎週火曜日、元日※津軽こみせ駅と同様
駐車場 有(こみせ駅駐車場)
アクセス ◆マイカーをご利用の場合
・黒石ICより市内へ車で約7分
◆弘南バスをご利用の場合
・弘南鉄道黒石駅より「大川原線」「虹の湖・板留線」約3分「中町」バス停下車
◆黒石駅から徒歩約10分

紹介文

 秋田雨雀記念館は詩人、劇作家、社会運動家として闘いの一生を終え、ことにエスペラントの普及や日本の新劇運動の開拓者として、歴史に大きな足跡を残されました。

 秋田雨雀先生をしのびつつ、この記念館の完成により同郷の文人、鳴海要吉、丹羽洋岳、鳴海完造等。

黒石出身の諸先生の遺品や遺墨も同時にここに保存展示しています。

秋田雨雀経歴

明治16年1月30日 青森県南津軽郡黒石町大字前町38番地
(現在黒石市前町17番地)に生まれる。
本名…徳三、 父…玄庵、 母…まつ
「病弱で臆病な子供であったので、自分を卑下する気持ちで
(雨雀)と呼んだ」(雨雀日記)これが後でペンネームとなった。
明治20年9月8日 青森県南津軽郡第一学区公立黒石尋常小学校入学、
同級生に後年、口語歌人として名をなした
鳴海要吉(明治16年7月9日生、昭和34年12月17日死亡)がいる。
以後、良き友人として、またライバルとしての交際が続けられる。
明治30年4月8日 青森県立第一尋常中学校入学(現在の青森県立弘前高等学校)
明治35年4月 東京専門学校(この年9月、早稲田大学と改称)英文科入学
明治39年 箭田きぬと結婚(正式な届出は明治44年9月19日)
明治40年6月 小説「同性の恋」を発表。これが処女作といわれ、
以後、早稲田文学新進小説家の一人として注目される。
明治45年4月 戯曲「埋れた春」を発表。
以後、数えきれぬほどの詩、小説、戯曲、童話、随筆、評論など。
一方、新劇運動、エスペラント運動でも活躍。
昭和28年10月17日 黒石市御幸公園内蝦夷館に雨雀歌碑建立。「みつばちの 巣ばこに われは耳あてて はるかにもきく 春のおとずれ」
昭和35年1月1日 黒石市高樋竹次郎より名誉市民に推戴される。
昭和37年5月12日 午後4時、生涯を終える(79歳)
昭和37年6月10日 黒石市黒森山 浄仙寺に 歌碑 建立。「ひとさしを わが手のひらに  おしあてて 文字を教えし 父のなつかし」
昭和47年11月5日 黒石市山形町 法眼寺に句碑建立。「手を拡げて 小さな実をこぼす 初霰」

「第5回くろいしの短歌」作品募集


※送付先は下記のPDFファイルをご確認ください。
「第5回くろいしの短歌」作品募集中。※令和5年10月5日(木)必着
詳しくはこちらをご覧下さい。

第5回くろいしの短歌コンテスト入選者

一般の部
(黒石詠)
最優秀賞
髙田 明洋さん
埼玉県
(自由詠)
最優秀賞
藤田 久美子さん
弘前市
学生の部
(黒石詠)
最優秀賞
山崎 円香さん
中郷中学校2年
(自由詠)
最優秀賞
村上 聖弥さん
黒石高校2年

一般の部は「黒石詠」「自由詠」合わせて385首、
学生の部は「黒石詠」「自由詠」合わせて1,503首集まりました。

以下の「入選者一覧PDFファイル」をご覧下さい。